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<BLOG>Mishka Brooklyn PART2

昨日のMishka日記からこの2人の出身地
Brooklynと言う街の歴史に軽く触れてみましょう。

デザイナー達2人の故郷。

wikiより紐解いて言ってみます。



ブルックリン区(Borough of Brooklyn)は
アメリカ合衆国ニューヨーク州
ニューヨーク市に置かれた行政上の5つの区の1つ。

5つの区は、5Boroughと呼ばれています。
昔大阪でこの名のMIX CDが出てて
自分店にも置いてたのを思い出します。



その5つは.........
マンハッタン(Manhattan)
クイーンズ(Queens)
ブルックリン(Brooklyn)
ザ・ブロンクス(The Bronx)
スタテンアイランド(Staten Island)

の5つの区(Five boroughs)の事を言います。

そして話を戻しますが
公式名称はキングス郡(Kings County)。

ロングアイランド最西部に位置しイーストリバー、ニューヨーク港、
大西洋に囲まれクイーンズ区のお隣さん。

名称はオランダ人入植者が母国の地名を取り
同地にブルーケレン(Breuckelen)という
小さな町を築いた事から由来するそう。

キングス郡はイギリス王の
チャールズ2世にちなんでつけられた郡名。

ちなみに、隣のクイーンズは
このチャールズ2世の后のキャサリン王后に
ちなんでつけられた。

キングス(王)にクイーンズ(お姫様)か......

なるほどなー。俺も勉強になってます。


 
1898年に行われた区画整理までは
独立した市として存在していた。

ブルックリンは5つの区の中で最も人口が多く
250万人の人々が居住している。

ニューヨーク市の5つの区を独立した市として考えるなら
ブルックリンは、以前軽く紹介したロサンゼルス市
シカゴ市に続き全米で3番目に人口の多い市となる。

またキングス郡はニューヨーク州で
最も人口の多い郡でアメリカで
ニューヨーク郡(マンハッタン区)に次ぎ
2番目に高い人口密度を誇っている。

簡単に言えば1位マンハッタン、2位ブルックリン
っつう話。


 
マンハッタンへは、凄くレトロで歴史と
哀愁漂うブルックリン橋



マンハッタン橋
ウィリアムズバーグ橋
バッテリー・トンネルを始め
ニューヨーク市地下鉄でアクセスが可能。

意外とすぐ行けるが昔はNY行った時
フルトンモールに行きたくて地下鉄で行きましたが
そのモールの近くにBEET STREET
ってレコ屋があって
(※当時SOOPにお土産で
そこのレコBAGをプレゼント)

下にYOUTUBE LINK貼ってるので
ぜひ見てみてください。

下に降りるとターンテーブルで
当時まだ若かれし有名DJ達が
たくさんPLAYしてました。

僕もBIGGIEや当時日本に
少なかったMIX CDを何枚も
買って帰りました。

ホント、マンハッタンはもちろん
ブルックリンである意味
HIPHOPカルチャーを肌で
感じれた事を思い出します。



モールで当時人気だった
カラーバリエーション豊富な
NEW ERAを買い付けに行きましたが
あまり大量に買ったり
日本人が一人でいると危ないので
必ずモールに入るとセキュリティー
らしい人が付いてくれます。



過去に何度もその辺でバイヤーたちや
観光客がひったくりや強盗
下手したら殺される話も
聞きましたので、そういう意味では
当時ホントに良い意味での緊張感があり
ドキドキワクワクした思い出があります。



今もですが当時、まだ知識も浅い自分が
ここがJAY-ZやBiggieの地元かーなんて
感動しながらきょろきょろしてたのを
思い出しながら書いています。w

話は戻りますが、クイーンズへは地下鉄と
ニューヨーク市バス、ロングアイランド鉄道で、
スタテンアイランドへは
ヴェラザノ・ナローズ・ブリッジを通り車・バスで
アクセスできます。
 
マンハッタンとは違った独特の文化の発信地
としても名高い。ブルックリン出身者は
Brooklynite (ブルックリナイト、ブルックリナイツ)
と呼ばれるらしいです。
 
 
ヨーロッパ人によるブルックリンの開拓は
17世紀より始まり以来350年余りの
歴史を持つアメリカで最も歴史ある
地区の一つ。

橋の建設や地下鉄の開設などにより
19世紀よりベッドタウン化が進み
それまで独立行政を行っていた同区
は1898年にニューヨーク市に併合された。
 
すごく噛み砕いて言うと、NEW YORKって名前も

最初この地はヨーロッパ勢の支配があり
まずはオランダ。

のちにイングランドの支配下に。

オランダ時代植民地化した名前をニューネーデルラント
1664年イングランドvsオランダの英蘭戦争で
海軍指揮したヨーク公の2人の名前から
来てるそうですね。

NEW YORK。
なるほど歴史を感じますね。

そして忘れちゃいけないのが
この街から出たスポーツ選手やアーティストは
本当にスタープレイヤーが多い。
その中でも特にBiggieやJay-Zには
絶対SPOT当てるべきだと。

以前Nickiについて軽く書いた時
敢えて触れなかったのは
ゆっくり書きたかったのもあるから。



本名は、Shawn Corey Carter(ショーン・コーリー・カーター)
誕生日は1969年12月4日。
ニューヨーク市ブルックリン区ベッドフォード・スタイベサント地区に
あるマーシー団地にて生まれ育つ。

ベッドフォード・スタイベサント地区は芸術家や
HIPHOPの文化がかなり濃いとされてます。

幼少の頃から生活苦から生活保護を受け
11歳のときには父と別離する。



そんな恵まれない環境のなかラップに目覚め
単身ワシントンD.C.へ渡り、当時人気絶頂の
Big Daddy Kane (ビッグ・ダディー・ケーン) と共に
ツアーをする機会を得るが、さして結果を残せず
ブルックリンへ戻り、ギャングの道へと身を投じて行くこととなる。

その後すさんだギャング生活から足を洗い
ラップ活動を再開。



DJ Clark Kentの紹介でDamon Dashと出会い

意気投合した2人は自主レーベル
Roc-A-Fella Recordを設立。



自身の作品はもとより、Memphis Bleekや
Freeway、Beenie Sigelなど
様々なアーティストを発掘し大成功を収め
それ以後アパレルブランドRocawear
ナイトクラブ40/40の経営など
ビジネスマンとしての手腕も発揮。


Roc-A-Fellaの親会社である
Def Jam RecordのCEO(最高責任者)
にまでのぼりつめる。

そして2003年、アルバム『Black Album』
の発表と共にラッパーとしての現役引退を
表明するも、2006年に復帰。



現在もなおHip Hopシーンの
トップに君臨し続けている。

他にも、俳優から監督、ボクサーからアーティストまで
このブルックリンからは多数輩出されてまsね。



アルカポネ、スパイクリー、エディーマーフィー
キャロル・キング、ジェイ・Z、タリブ・クウェリ
ノトーリアス・B.I.G.、バスタ・ライムス
ビッグ・ダディ・ケイン、ファボラス
モス・デフ、リル・キム
リル・ママ、ルー・リード
DJプレミア、GZA、RZA、アリーヤ



そしてマイケルジョーダンにマイクタイソンも
このブルックリン出身。



NIGGAS IN PARISでもJAYが
彼らの名前をRAPしてますね。



マイクタイソンの小話ですが
子供の頃うつ病気味でメガネかけた
凄く内気な子だったのが、ある日
大切にしてた鳩を当時の悪ガキ達に
いたづらされ殺されたのを気に
その悪ガキ達をボコボコにしたそう。

そっから彼自身自分の強さに
気付き、たび重なる悪行に手を染め
刑務所に入って、そこで生きる意味を
見失ってた頃にその刑務所でボクシングと
出会ったらしいです。

日本で言えば辰吉さんや亀田選手
内藤選手もそう言った過去を
持つみたいなので、通ずるモノがありますね。

そして話はそれましたが
アメリカ独立戦争後パリ条約が制定されて
アメリカ、イギリスともに独立を果たす。

また1900年初期
ブルックリンから都市化が始まった。

初期の都市化はローワーマンハッタン(マンハッタン島南端)から
アクセスの良いブルックリン街より始まり、
フルトンフェリー地区から就航した蒸気船によって
ブルックリンハイツはウォールストリートに勤める人々の
住宅街として発展した。

このフェリー駅からクイーンズのジャマイカ地区を結ぶ道は
先ほど話した僕がワクワクドキドキした
フルトン・ストリートとなり
イースト・ニューヨーク地区まで延びた。

また複数あった街や村のいくつかは
統合され1834年にブルックリン市が誕生した。

マンハッタンでは縦がAve(アベニュー)
横がStことストリート。

NYに行くとこれを覚えておくことから
俺は始めるよう言われました。

これで大体NY行くと迷いにくく
なりました。

そのマンハッタンが完璧な格子状の道路網を
築いたのに対し、複数の区画を有していた
キングスはあえて道路を碁盤の目にはせず
それぞれの行政が独自に道路網を
整備したんだって。

これはもともとオランダとイギリスが別々に開拓したため
東部と西部で街路の仕組みが異なっていたことも原因
だそうです。

西部ではマンハッタンと同じ方式で南北に
アヴェニュー(街)が走り、東西にストリート(丁目)が
走るが、東部ではその逆で、南北にストリートが走り
東西にアヴェニューが走る。
東部ではアヴェニューも数字ではなくアルファベット順
となる。

ホントこれ最初なんで??
と思ったがこういう理由があったんやね。

歴史は面白い。

スポーツなどの娯楽産業も徐々に
華が咲くようになりプロ野球チームも出来る。



現在のロサンゼルス・ドジャースの前身にあたる
ブルックリン・ドジャースがエベッツ・フィールドを
ホームとした。

このエベッツフィールドを元にした
CAPも日本で良く被ってる人いるよね。



なかでも有名なジャッキー・ロビンソンは
1947年に初のアフリカ系選手として入団。



チームはナショナルリーグでは強豪で優勝も多く
1956年にはワールドシリーズで同じ地域のライバルの
ニューヨーク・ヤンキースと戦った(結果は敗退)。

この時の盛り上がりは常軌を逸するもので
盛大な祝典が催されたそうです。

その時の様子が書かれていました。

LINK



その2年後、ドジャースはロサンゼルスへと
ホームを移動。

僕も服屋やりだしてから
この事情を知りました。

当時、野茂選手がメジャー挑戦
って事で野球小僧の自分は興奮
したのを覚えています。

ただ移転に関して
球団オーナーのウォルター・オマリーへの
誹謗中傷は激しく、現在でも
当時まだ子供でドジャースが
ブルックリンのチームであったか
定かではない世代からも批判されることがある。

地区の歴史をいまだにドジャースの移転前
移転後で分ける住民が多い。

ただドジャースのブルックリン回帰の運動は
起きていない。

ドジャースの移動以降43年間はブルックリンに
プロ野球チームがなかったが
2001年にマイナーリーグのブルックリン・サイクロンズ
がやってきた。

彼らはニューヨーク・メッツの傘下でコニーアイランドの
MCUパークをホームとしている。




1883年、ブルックリン橋が完成し

長年船しかマンハッタンとの連絡手段が
なかった時代は終わる。

それに伴いマンハッタンとブルックリン市の
交流は劇的に活発化したみたいですね。

1806年に稼動し始めたブルックリン海軍工廠は
第二次世界大戦時にその生産のピークを迎える。

最大約7万人を雇用しブルックリン最大の雇用先であった。



大日本帝国が太平洋戦争の降伏調印を行った戦艦ミズーリ
米西戦争勃発のきっかけをつくった戦艦メインは
ここで製造された。

現在の同工場は工業デザイン会社のハブや職人の養成所
食品加工など様々な用途に利用されている。

最近ではテレビスタジオも入っており
約230の民間企業が約4000の雇用を生み出している。


人口の割合も面白い。2000年当時。

白人 41% 45% 67%
黒人 45% 27% 16%
アジア人 8% 10% 6%
ヒスパニック 20% 27% 15%

女性が男性より多い地域であり
100人の女性に対し男性は88.4人しかいない。

そのためかブルックリンのレズビアン・コミュニティは
ニューヨーク市最大規模なんだって。


ブルックリンは多くの黒人が居住する地域であり
約90万人がいる。

これはニューヨーク市の全黒人
人口の40%を抱えていることになる。


ダウンタウン(旧市役所所在地)は
ニューヨーク市でマンハッタン区のミッドタウン
ローワーマンハッタンに次ぎ3番目に大きなビジネス街である。

数多くの商業施設、又キングス郡の様々な行政施設
裁判所、拘置所、区役所などが立ち並び
近年では住居施設も増えてきている。


ブルックリン橋とプロスペクトパークに挟まれた
北西部地域にある地区ブルックリンハイツ
キャロルガーデン、コブルヒル、クリントンヒル
ダンボ、フォートグリーン、ゴワナス
パークスロープ、プロスペクトハイツ、



レッドフックには
19世紀に建てられた煉瓦造りの
タウンハウスや正面に赤褐色砂岩を
配した住宅などが立ち並んでいるのが
印象的である。



これは最初にNY行ったときに
このレンガ色のビルがNYっぽくて
ホント写真を撮りまくりました。

これらの地区の中には
高級住宅化した裕福な場所も含まれており
地下鉄駅も多く文化施設や高級飲食店が
建ち並んでいる。




1980年代後半になるとブルックリンは
HIPHOPカルチャー好きな人には
絶大な人気を誇るスパイク・リー監督の映画



「She's Gotta Have It」



「ドゥ・ザ・ライト・シング」の撮影舞台になったことから
新たな風潮を見せ始める。


ニューヨーク市バス網も区内全域を網羅している。

平日はマンハッタンへの
エクスプレスバスも運行している。

ニューヨークの象徴でもあるタクシーのイエローキャブも
見受けられるが、同タクシーは主にマンハッタンで
運行されている為数は極端に少なくなる。

またマンハッタンからブルックリンへ行くことを
拒否される場合も多く、区南部への目的地は
ほぼ承諾されない(特に夜)。




実際、僕も買い付けでどうしても行かないと
行けない時にイエローキャブで行き先教えると
断って来るどころか、さーっと無視って
行きよる奴おりました。

でも、タクの運ちゃんも距離があり儲かるので
賢い運ちゃんは全然運んでくれますのでご安心。

マンハッタンへの道路のアクセスはブルックリン橋
マンハッタン橋、ウィリアムズバーグ橋
バッテリートンネルの4つがある。

ちなみにこの橋を南から
BMW(Brooklyn, Manhattan, Williamsberg)
と覚えるらしいです。


そのほかマンハッタンを「ザ・シティ(The City)」
と呼ぶ場合もあるが、ザ・シティというのは
アメリカ全土で通用する
ニューヨーク市の通称であるため
必ずしもマンハッタンのみを
指すわけではないそうです。



女性の好きなアメリカのテレビドラマ
「セックス・アンド・ザ・シティ」は
アメリカ人であればニューヨーク市が
舞台の物語であることをタイトルから
読み取れますね。

こういった理由や背景を分かりながら
そのデザイナーやアーティスト
映画やARTなどに惹かれて行くんですね

僕も向こうに行く機会
まだまだ少ないので
全然知識浅いですが
wikiの力借りてこうやって
時代をさかのぼって見ると
凄く勉強になります。

何せこのブルックリンって街
僕はあの空気感と緊張感が
大好きです。

そしてそのエリアに小さく
構えてここ日本まで渡ってきた
Mishkaってブランドに大きく可能性を
感じます。

それはCOTEMERそうやし
THE HUNDREDS,alifeなど
ウチで取り扱ってる商品に
すべて思います。

へたくそな説明ですが
こう言った知識を持って
洋服を着ると、また一歩
洋服が好きになりました。

このBLOGは自分も
勉強するつもりで書いてるので
間違いや、至らない点も沢山あります

なので色々知ってる人
沢山教えてください。

そして自分でもまた行って
色々探検したいと思います。

それではまた!!
ブルックリーーーーン!!!








◆THE MANSION ONLINE SHOP
http://shop.themansion-web.com/?mode=cate&cbid=1157101&csid=0&sort=n




<BLOG>本日最終日!!



◆7Days FREE DOWN LORD!!!!!

現在920DL。
1000DLまであと少し。
チョイ時間かかったけど良い感じ。
岡山はもちろん、各地のDJが現場でも
かけてくれてる話を聞きます。
マジで感謝。
作っても現場でかからないなら
意味ないのでマジでありがたい。
DISK ONE GOOD JOB.SO NICE!!


BAZ-K
Niggas Rattle in Paris

Edit byDJ DISKONE


http://firestorage.jp/download

/aea11e3c3c900850adb6b1119f1170394e1ee12d 


CWTV-CARELESS WORLD TOUR WEEK 1(RECAP)